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どうでもいいこと まじめな記事

無敵の人と自己肯定感と孤独の話

投稿日:

こんにちは。こーすけぽけです。

このHP地味にサーバー代がかかっているので

訪問者を増やそうと思って記事を書いています。

よければ今まで出した同人誌も見てね。

(ここまでコピペ)

 

こんにちは。お久しぶりです。

久しぶりに長文を書きたくなったので書きに来ました。

 

さて、突然ですがみなさんは孤独を感じるときってどんな時ですか?

 

家に誰もいなくてシンと静まり返っている時ですか?

夜眠れなくて真っ暗な部屋で1人時間が過ぎるのを待っている時ですか?

どこか遠い場所に来て、周りに人が誰もいない時ですか?

遠い場所で周りに人はいるけど自分を知っている人間が誰もいない時ですか?

普段一緒にお弁当を食べてる友達が休んでしまって

1人で場所を変えて誰もいないところでお弁当を食べる時ですか?

 

自分は

3人で道を歩いていて、

いつのまにか前に2人で話ながら歩いているのを会話に入れずに後ろから1人で付いていく時です。

 

自分はそこにいるはずなのに

自分が認識されていないと感じる時、そういう時に私は一番孤独を感じます。

 

さて、前置きが長くなりました。

今回はニュースを見ていていろいろと思うところがあって

長い文章を書きたくなったので書き殴りにきました。

自分のこの記事を読んで不快になる人もいると思います。

自分はそうは思わない、理解できない、わからないって思う人もたくさん

いると思います。

別にわかってほしいんじゃなくて自分の気持ちを整理するために書いているので

物申したいとか、何か伝えたいことがあるとかそういうのではないです。

これは自分が全くの部外者だからこんなことが言えるのであって…というのも

重々承知の上で書き綴ろうと思います。

加害者の肩を持ったり同情することはないし、してはいけないことだとわかっています。

 

気持ちの整理をするために書くのは間違いないんですが

やはりこれを見てくれる人がいることを想定して文を書いてる都合上

語りかけるような部分がまあどうしても多くなるのはご容赦していただきたい。

 

全体的に真面目で暗い話なんでそういう話が苦手な人は見ないでください。

 

似た記事としてはこちら

中島岳志「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」を読んで思ったこと

 

無敵の人

 

みなさんは無敵の人という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

簡単に言えば失うことが何もないような人のことを指します。

元々は2ちゃんねるのひろゆき氏が作った言葉だったような気がするんですが

わかりやすい言い方だな~と思います。

マリオカートってやったことありますか?

あれで「スター」というアイテムを取ると一時的に無敵の状態になるんですが

どういうことかというと自分から甲羅やバナナに当たってもなんともないし

むしろ他のプレイヤーにガンガンぶつかっても自分は傷ひとつ受けずに

相手を吹っ飛ばすことができるんですね。

「無敵状態」というのは言い換えれば自分が傷つくことのない状態

そういう状態のことを無敵状態と呼んだりしますね。ゲームとかでは。

実際のそういった無敵の人っていうのはおそらく既にいっぱい失っていて

いっぱい傷ついてきたのかもしれませんが。

(もうこれ以上)傷つくことがない人なのかもしれません。

 

さて、その無敵の人がなんで唐突に出てきたのかというとですが

ピンときた人はもちろんもうわかってると思うのですが

川崎での無差別事件を受けて…です。

あの事件を受けてどうしても容疑者を叩ききれない自分がいる。

池袋で高齢者が子どもとその母親を轢いて命を奪った事件に関しては

被害者側の立場に立っていられたのに

秋葉原の無差別殺人や川崎の無差別殺人では

頭の中では無関係だからこそそんなことが言えるんだ、とわかっていながらも

被害者側の立場に立ち切れずに加害者側の立場になって考えてしまう自分がいるんです。

自分も一歩間違えていればこうなっていたかもしれないという意識が常にあるんです。

だからですかね、「1人で死ね」とか「他人に迷惑かけずに死ね」みたいなものを見ると

なんだか悲しくなってしまうんです。もちろんそういいたくなるのもわかっているんですけど。

 

ただ、今回は真相が全くわかっていないし、

無敵の人は失うものがないので犯罪に走りやすいみたいなそういう話ではなく(そもそもすべきではない)

そういう言葉が出てきたっていうことはみんな同じように思うところがあったのかなぁ

とそういった認識の方が大きいです。

逆にこういう言葉がトレンドに上がることで自分の立場を再認識して

そういう立場に近い人を追い詰めるかもしれないし

なんていうか、難しいですよね。

 

自分には健在な祖父母や家族、仲のいい叔母や月1で会う高校時代の友人たち

大学時代の友達やサークルの先輩後輩、同人友達や見てくれる人、シフトを合わせてくれる店長や同僚

なんだかんだいって9年近く付き合いのあるtwitterのフォロワーとか

話がやたら合うフォロワーやアニメの話ができるフォロワーとか、

趣味に時間を費やす余裕はあるし無理な借金があるわけでもない…

そういう社会との繋がりがあるからこそ自制が効いた自分でいられるんだと思うんです。

でも、それらがなくなっていったらどうなんだろう、となってしまう。

 

ふつうに生活していたらそんなこと早々おきなくない?wってなるかもしれないんですが

どうなんでしょうね?

 

自分は今引きこもりに近い生活してますし(働くときは外出てるんですが辞めたらわかりませんね)

結婚願望もないですし子どもが欲しいとも全く思っていないし

ぶっちゃけ将来も安定してないですし。

友達だって人生のステージが上がれば疎遠になっていくかもしれないですしね。

今はみんな独身だから好き勝手時間が使えるけど

結婚して家族ができたらいつまでも友達と一緒なんて無理じゃないですか。

家族の時間を増やして友人と会うことは減っていくだろうし

独身の友人と家族がいる友人ではちょっとずつ価値観が食い違っていって

下手したら疎遠になってしまうかもしれない。

twitterだってそのうちサービスは終わるだろうし

自分がいつまで絵を描いていられるかもわからないし

先のこと考えると不安で仕方がないですよ。

自分がいつ社会と断絶するかわからない、今は満たされていてもわからないですね。

そう考えると怖いです。

だからこそ今ある人との繋がりって大切なんだとも思うんですが…。

 

 

自己肯定感が低い

 

今回の岩崎容疑者は完全に社会と断絶されていたのもあるんですが

幼少期から家庭内で差別されていたというニュースを見て

自分も自分の過去のことを思い出してうーんとなったんですね。

同情するつもりは全くないんですが、思い当たる節はあるんですよね。

 

唐突に自分語りをしてしまうんですが(オタクは唐突に自分語りをしがち)

私は小学校の時からSAPIXっていういわゆる進学塾に通っていまして

中学受験の経験があるんですが先に結果から言っておくとまあ全敗だったわけです。

通常中学受験で塾に行かせる場合、小5~とかの高学年から行くケースがメジャーなんですが

(小4までの教育と高学年からの教育ではレベルが格段に違うので)

自分の場合は小3の頃からSAPIXに通っていました。

もっというと小1の時にはもうすでに両親の頭には中学受験のことがあったみたいで

漢字ドリルやら計算ドリルやらをやらされた記憶がありますね。

ぶっちゃけた話、あんまり覚えていないんですが

小1の時から毎日ノルマ何ページとかやらされて、それができない場合は父親にゲンコツとか

シッペとかやられていました。

(ゲンコツは後々になって祖父母に止められたみたいで減っていってシッペがメインだったような)

ノルマが終わらない場合は終わるまで寝かせてくれなかったし

(これが原因で小学生のうちに深夜アニメにハマったしこの頃から夜更かしの癖がついたのですが)

ゲームとか漫画も一切禁止されていたし(隠れてコソコソやってたけど)

父親とは基本勉強の話しか小学生時代はしなかったのですが

唯一交換日記みたいなのをやっていてそこに日々の出来事を日記として書いて

それを見た父親が赤ペンで意見を言うみたいな、そういうのをやっていて

そこでもこちらが「今日は○○があった」って書きこんでも

「漢字ドリルは毎日やれ」とか「計算ドリル1ページやっていなかっただろ」

みたいなことしか書かれていなくてろくにコミュニケーション取れなくて

ちょっと悲しかったこととかありましたね。

母親はというとあっちはがり勉の父親と違ってスポーツバカだったので

小1の時から水泳スクールに行って

○○ちゃんはC級なのにあなたはまだD級なのねみたいなことを言われたり

あとピアノも別に好きじゃなかったんですけど通ったりしていました。親が習わせたかったみたいなので。

あぁ、あと書道とバレエもやってましたね。全く身についてないんですが。

 

そんなこんなで長子だし幼少期から教育にめちゃくちゃ熱を入れてた両親なんですが

自分はその期待に添うどころか裏切るような形になって

散々うちは塾に行かせてるのよ~なんて豪語していたものの

結果は惨敗なんて恥ずかしくてご近所様に合わせる顔がないし

散々金かけたのに当人が無能だったせいでこのザマだったわけでまあ教育の熱も冷めていくわけです。

(一応擁護する要素としては住んでいる地域が中学受験ガチ勢が多い地域なんで

逆に進学塾行ってないような子の方が珍しかったので

進学塾にぶち込んで勉強させるのは別に両親にとっては普通のことだったんだと思います。

ご近所同士で進学先の学校名でマウント取ってたっぽいし。知らんけど。)

(あとはSAPIXにはアルファクラスっていうのがあって、そこにいたことがあったのも

両親を無駄に期待させちゃったところなのかなぁと思います。

最初から一番下のクラスだったら勉強の才能がないって諦めていたかもしれない。

受験が近くなるにつれて着々とクラスが落ちていったのは言うまでもない)

 

そんなこんなでとりあえず私で失敗したせいか妹と弟の教育は慎重になっていったんですが

無理に勉強させなかったせいかまぁ伸び伸びと育ってくれたわけですね。

無理に中学受験させるより本人が高校受験で勉強して自分から足りないとこを

塾で補いたいって言いだすまで様子見して

私で失敗してる分やっぱり塾に金出すのは渋って当人がここまでやったのだから

塾に行かせてくれと言うまで渋った結果

妹はぐんぐんと成績が上がっていったわけです。

自分は勉強が嫌いだったのでこれは素直に偉いな~とは思うんですけど。

まぁその背景には「○○(私の名前)みたいになりたくなかったら勉強しなさい」とか

「○○(私の名前)のせいでいくら無駄になったと思ってんの、妹を塾に行かせる金なんかない」

とか親が言いまくってたせいか妹は「○○(私の名前)みたいになりたくないから勉強する」とか

「○○(私の名前)は失敗したけど自分はちゃんと勉強するし失敗しない」とか言いながら

ずっと見下され続けているのでまぁ…ってかんじ。

もっというと自分が看護学生時代いろいろと上手くいかな過ぎていたところに

ちょうど妹の大学受験が重なって、まあ妹も妹で大学受験に対するストレスとかが

あったんだとは思うし人が必死こいて勉強してる隣でいい年した大人が

DS持ってポケモンの卵割ってたら

そりゃ腹も立つんじゃないですかね。部屋も汚いし。

「○○(私の名前)みたいに底辺は嫌だ」とか言われまくって(看護大学は底辺ではない)

それ聞いた親にも「あいつには散々金かけたのに底辺看護で…」とか言われまくったせいで

完全に妹とは修復不可能な関係になってしまいましたね。まあしゃーないね。

 

まあ何が言いたいのかというと中学受験失敗してから教育熱心だった父親とは露骨に険悪な関係になったし

母親からは何かとつけて「あんたにいくら金かけたと…」って言われるし

妹からは露骨に見下されるし修復不可能なくらい険悪になったし弟とも仲が悪かったんですね。

例の川崎の無差別殺人の犯人の受けた家庭内差別(あれは両親に親権放棄された結果

叔父叔母の家の子じゃないからと差別を受けていたらしい

(あくまでニュースでの報道だし真相はわからないので

断定すべきではないんですが))

とは全く境遇が違うのですが

なんとなくの想像と、自分の経験を踏まえて考えると

家庭内差別は自己肯定感を簡単にぶっ壊してしまう。

 

自分の場合はお金かけてもらったのに期待に添うことができなかった

っていう負い目が少なからずあって

自分が無能だったから両親に認められなかった、自分が悪い

中学受験で成功していればこんなことにはならなかったのかな…なんて考えたりもしました。

まあでも今思い返すと中学受験成功していようが多分どこかでおかしくなっていたし

両親は勉強やスポーツで過程ではなく何か結果を出さないと褒めてくれなかったので

(あぁ、食事を残さず毎回きちんと食べきることだけは毎回褒めてくれました、

そのおかげで今も食事だけは美味しい美味しいって言いながらちゃんと完食できますね

昔は完食しないことが怖くて食事を残すことはしなかったのですが

最近やっと入りきらない食事を残せるようになりました)

例えば自分がポケモンのテレビに出ようが、絵が周りよりも描けようが

読書感想文でいい成績残そうがくだらないことばっか…って言われていましたね。

一度だけ「ちゃんと勉強したことを褒めてよ!」って言ったことがあるんですが

「結果が出せないならどんなに努力しても同じ」って言われましたね。

今思い返すと小言は癖のようなものなのか、散々金をかけたのに何一つとして結果を残せないような無能が

何か成果を残すことが気に食わないのか知りませんが

服を買えば「なにそのダサい服」「変」「金の無駄」って言われるし

絵が描けても一文の得にもならないとか、いい年してポケモンポケモンって(笑)とか

友達がいたってどうせオタクでしょ、とかお前の周りはどうせ程度が低いとか

言われ続けられていて自己が認められることがあんまりなかったので

自己肯定感は育たなかったですね。まあ無理だよな。

 

川崎の容疑者の場合そういった負い目とか関係なくおそらく純粋に自己が認められることはなかったのかな、

なんて思ったりもします。

同情する気はないけど自己が認められない辛さだけはなんとなくわかるんですよね。

これは妄想だけど子どものうちはやはり親に依存するので

親に対する不信感はもちろんあったかもしれないけど

それ以上に「自分が認められないのは自分が悪いからだ」って思う傾向が強かったんじゃないかと

思ってしまうんですよね。

でも、だからといっていい子ちゃんになれるならまだマシな方で

こういう傾向がある人って

「自分が認められないのは自分のせい」って思いながらも自己が認められない事実に

常にイライラしているので問題を起こしがちなんですよ、多分。

しかも子どものうちはそんな自己が認められないから~なんてことわからないんですよ

なんかよくわからないけど無性にイライラする…

なんかよくわからないけど何もかもが気に食わない…っていうことしかわからない。

そのイライラの正体に気づくのは大人になってちょっとそういう知識がついてからなんです。

自分の場合は「自己肯定感」っていう言葉を知って初めて当時の自分の気持ちに納得がいきました。

 

自己肯定感が育たないまま大人になると何かとうまくいかなくなります。

なんていうんですかね、なんか生きづらいんですよね。

常に満たされないままなので虚無感に襲われるっていうか。

結果を残せない自分はクズ同然なので存在価値がないな~ってなるんですよ。

例えば褒められても一時的には嬉しいけどすぐ抜け落ちるし

次褒められるには結果を残さないとってなります。

仕事なんかでそれで好成績を残し続けられるならいいんですがまぁ無理ですよね、

すると今度は自分なんて無能だ…クズだ…ととにかく自分を追い込む羽目になる。

そのサイクルを延々と繰り返す羽目になるんですよね。疲れるんですよ。

友達との付き合いもそう、常に面白くて好かれる自分でいなきゃってなる、どうでもいいところに気を遣う

秋葉原で無差別殺人をした加藤智大みたいに、本音と建前を区別するようになる。

生きづらさとか劣等感だとか満たされない何かだとか本音を言えずに常に抑圧されてる感じだとか

自分を誰もわかってくれないとか孤独感だとか

そういうイライラの正体が

自己肯定感の低さからくるものだと認識できないと

社会や上手くいっている人に対して憎悪してしまうんじゃないかなぁとなるんです。

 

引きこもりっていうのは確かに外部からの刺激が少ない分楽なんですが

このままじゃいけないなぁ…将来真っ暗だなぁ…っていう焦燥感も常に付きまとっていて

かといって自分は無能だし無力だしどうしていいかわからない…

でもこのままの生活いつまでも続けていられないなぁ

みたいな常に不安定な状態なんじゃないかなーって思うんです。

なんていうか、警察の目をかいくぐって逃げた指名手配中の殺人犯が

常に人の目に怯えて暮らすような感覚に近いんじゃないかなぁと思うんですよね。

この場合会いたくないのは例えば小学校の時の友人だとか、中学のクラスメイトだとか

自分が上手くいってないことを自分を知っている人に知られたくなくて

つい嘘を言って、その後ウソをついた情けない自分に自己嫌悪したりだとか

そういう部分でやはり不安定なんじゃないかなって思うんです。

親も親で家から追い出したところで行く当てがないし

変に問題起こされたらたまらないし世間体とか気にするタイプだったら

逆に家に置いとくだろうし引きこもりが家にいるなんて言わずに

なるべく外に出さなかったりするんじゃないかなぁ…

むしろ近所の人にはいなかったことにするかもしれない、お宅のお子さんは…

なんて言われてもバツが悪そうな顔でその場では誤魔化したりするんだけど

帰ってきたらその鬱憤をぶつけてさらに追い込んでしまう…みたいな

完全に妄想なんですがまぁなんとなく想像はできてしまいますよね。

 

 

死んでしまった以上真相はわからないし

全て妄想なので好き勝手言っててアレなんですが

秋葉原の加藤智大といい、

自分が将来こうなっていたかもしれないなぁと思うのは

幼少期の扱いや今現在の自分と社会との繋がりだとか、

そういう部分にシンパシーを感じてしまうからなんじゃないかなぁと思います。

同情する気は全く起きないけどなんとなく気持ちや境遇の理解が

想像できるなぁといったかんじです。

自己肯定感が低いやつは犯罪を犯すかもしれないとかそんな話じゃないですよ。

 

ちなみになんですが、自分は今散々見下してきた妹や弟とは離れて暮らしているし

母親の小言については祖父母や伯母に「あいつそういうとこあるよな」ってかんじで

「昔からあんなんだったからわかるけどまあきついよね」みたいな話をして

あ~自分は悪くないんだな~と少し楽になれたし理解者がいたことに安心したし

父親とは未だに接し方がわからないんですが事務的な会話くらいはできるようになったので

以前の生活よりはかなり楽になりましたね。

自己肯定感が低いことも自覚できるようになりましたし。

とはいってもこれ全部最近の話なので物心ついてから今までの15年くらいは

やっぱいろいろと多分辛かったんだろうと思いますね。

当時はそれが当たり前だったので自覚してなかったんですが。

スーザン・フォワード著の「毒になる親」という本を読んでからやっとそういう

自分の気持ちと向き合えるようになりました。

 

孤独感を感じるとき

 

さっき一番孤独を感じるのは

3人で道を歩いていて、

いつのまにか前に2人で話ながら歩いているのを会話に入れずに後ろから1人で付いていく時

だと言いましたね。

 

自分はそこにいるはずなのに

自分が認識されていないと感じる時、そういう時に私は一番孤独を感じるって言った気がします。

 

秋葉原の加藤智大が反応を求めてひたすら掲示板に書き込んでいた話や

仕事場のツナギがなかったことがトリガーとなって

あの事件を引き起こした話だとか

全く同情する気は起きないけど気持ちだけはわかるんですよね。

自分はいてもいなくてもいい存在なんだってことを突き付けられるような感覚

そういう孤独と絶望感、

ただでさえ自己肯定感が低くて自己が認められないのに、他人からも認められなかったら

本当にきつい。いる価値がないってなってしまう。そんなことないってわかっているのに。

 

特にそういう孤独感に苛まれている時ってとにかく必死なんですよね。

気持ち悪いくらい他人に承認欲求をぶつけてしまう。

周りに人がいるのに誰も気にしてくれない、

見ているはずなのに見られていない、認識されていない、

つまり誰からも必要とされていないということ。

自分に存在価値がないなんて本心では思っていないし

そんなこと思いたくないけどそう言い切れる自信がないから

他人に承認してもらいたいのに誰もそう言ってくれない絶望感。

なんなんでしょうね、「1人で死ね」っていう言葉はそういう絶望している人間には

本当に刃物のように鋭利で心に刺さる言葉なんですよね。とにかく悲しい。

もちろんそんな意図がないのはわかっているけれども、「1人で死ね」は

「そうだぞ。お前のことなんか誰も必要としていない。だから誰も困らない。」

そう言われているようなそういう救いのない気持ちになってしまうんですね。

そういうことを言うなって言いたいんじゃないんです、

なんなんだろう。

上手く言えないけどなんだか悲しくなっちゃったんですよね。

 

うーん、そうですね。わかりやすそうな例でいえば

自分の場合絵を描いて誰からも反応がもらえなかった時の絶望感とかは

まさにそれと似ているかもしれません。

自分は自己肯定感が低いので絵を描いて承認欲求を満たしている時期がまあ、あったんですよ。

絵を描いて反応がもらえている自分は認められているけど

絵を描いて反応がもらえない自分は価値がないみたいな。

反応がもらえなくてショックだったんじゃなくて自己肯定感が低いので

反応がもらえない=誰からも必要とされていない

と考えてしまう。

頭でそんなことはないってわかっているのに精神が追い付かなくてついそう考えてしまうんです。

反応しなかった人に対する不信感とか苛立ちではなく、

孤独感をすごく感じてしまってそれがストレスになっていた時期があったんです。

全然そんなことはないって頭じゃわかっているんですが。

フォロワーが何千人といるのに、誰も自分を認識していない、誰も見ていない

必要じゃないんだなぁ…ってなってしまうような。

絵を描いたら反応しろとかそんなことが言いたいんじゃなくて

理解と精神に齟齬があるせいで余計なストレスになってしまうんですよね。

 

前に2万人くらいフォロワーがいる絵描きが

「フォロワーが2万人いるのに毎回200いいねしかもらえない。」

「200いいねしかつかないしアカウント作り替えようかな」

「残りの1万9800人は何を思って自分をフォローしているんだろう?」

って感じのことを呟いたら軽く炎上していましたけど

(200人もの人がいいねしてくれてるんだぞ!いいねしてくれている人に失礼では!?っていうのが多かった。

もちろん正論だし自分もその200人には感謝すべきと思う反面、

その人が言いたかったのはそういうことじゃないと思うなぁ…と思っていました)

これもそういう孤独感みたいなのがあったんじゃないかなーって思うんですよね。

普段自分の絵や呟きには一切反応しないのにRTした絵や呟きにだけは反応する人に対して

なんだか嫌な気分になってしまうのも、

本来見えているはずなのに(ミュートされていないはずなのに)自分は認識されていない、

自分は必要とされてないんだな~みたいなことが通知を通してわかってしまって

それで孤独感で追い込まれてしまうのが苦痛だからじゃないかなって思うんです。

作品そのものに対する興味だとか知名度や技術力や表現の他にも運だとか

いろいろ差があるのでそういった反応は当たり前なのに

どうもこういった孤独になる機会っていうのは創作活動をする人間には多いような気がします。

 

自分は今絵を描く方のアカウントの公式クライアントを完全に切って

FeatherっていうアプリでTwitterやって

一切通知を出さないようにしているんですが

通知といいねやRTの数が見えないだけですごく精神的に楽になれました。

なんだかんだいって人生の1/3はTwitterをやっているので

TwitterのTLを見ないみたいなことはできないし、ていうか絵や

呟きが見たくてフォローしてるのにTL見ないは本末転倒だなとなっていたんですが

数字と通知を一切見れないようにしてから

間違いなく前より楽しく絵を投稿できるようになったし

前より楽しく絵のRTとかもできるようになりましたね。

絵を投稿した直後にリムられたとかそういうのも一切わからんので楽になれました。

 

話が逸れてしまって申し訳ないんですが

だらだら書いてて結局なんなんだこいつってかんじなんですが

正直自分でもなんなんだろうな~って感じですね。

自分もそちら側の人間なので「1人で死ね」っていう言葉に

突き放されたような気がしたっていうのと

認識されていない時に感じる孤独ってマジで辛いよねって

言いたかったんだと思います。多分。

 

 

まとめ

 

結局何か伝えたいだとか物申したいだとか

そういうわけじゃなくて

自分はこう思ったな~っていうのをただ書きなぐって自分の気持ちの整理がしたかったので

別にまとめといってもなあ…うーんってかんじです。

ここまで約1万文字くらい?よくこんなにだらだらと文章打ち込んだなって気がします。

なんなんでしょうね、追い詰められた時に突き放すんじゃなくて

何か受け入れてくれるような居場所があればいいなって思ったんです。

寂しい思いをぶつけられる居場所があるのとないのでは

多分違うと思うので。

でもそういう居場所っていうのは多分自分で見つけないと

いけないのかもしれないし難しいところですよね。

あとはこういった薄暗くて仄暗い底から湧き上がってくるような

黒い感情っていうのはあまり理解されるものではないので

気持ちの整理と言いながらも誰かに見てもらいたかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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