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読書感想文

中島岳志「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」を読んで思ったこと

投稿日:

こんにちは。こーすけぽけです。

このHP地味にサーバー代がかかっているので

訪問者を増やそうと思って記事を書いています。

よければ今まで出した同人誌も見てね。

(ここまでコピペ)

 

はじめに

さて、平成最後のコミックマーケット、元旦を迎え

いよいよ今年4月には年号が「平成」から変わろうとしているまさに今、

私たちは時代の節目にいるわけですが平成、いろいろなことがありましたよね。

テレビ…は普段あまり見ないのですがやはり平成のおわりということでこの年末年始は

平成に起きた出来事などをまとめた番組が多いような印象を受けました。

その中でなんとなく見ていた番組の中で非常に興味をそそられた番組がありました。

2018年12月28日に放映された「平成ニッポンの瞬間映像30」という番組です。

自分は最初からこの番組を見ておらず、また途中で離脱してしまったのですが

番組の中であの「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人である加藤智大の半生がドラマ化されて

放映されていたのです。

連日この事件についてテレビでは報道していたので

事件のことについては鮮明に覚えています。

当時この事件が起きた時の自分は中学生で、

ちょうどこの事件のあった翌日に友人と秋葉原のアニメイトでショッピング

する予定だったので凄惨な事件に恐怖すら抱きました。

しかし、事件から10年経ち、秋葉原のホコ天も復活した今

この事件での出来事は自分の頭の中では風化していきました。

そんな中、10年越しに、この平成という時代がおわろうとしているこの節目で

この事件と犯人加藤智大のドラマを見ているうちに彼に「共感」している部分が

数多くあることに気づきました。

当時中学生だった自分も今年で当時の加藤智大と同じ年齢になります。

中学生だった自分はただただ「怖い」「理解できない」「巻き込まれていたかもしれない」

そんな思いで覆いつくされていたような気がするんですが、今の自分は違う。

彼の半生を見て「共感」している部分が多い。

どうにも彼にシンパシーを感じてしまう部分が多くあるのです。

 

先日発行した同人誌「あいつらしくいられるように」

少し自分と向き合ってみて感じた「アイデンティティの確立」に

何か近いようなものを感じたのです。

 

最初に断っておきますが、

犯人加藤智大の半生が同情を煽るような内容であったにしろ

彼の人生がうまくいっていなかったにしろ

彼が恵まれた環境にいられなかったにしろ、

彼の起こした事件は決して許されることではないです。

またこのように自分が「共感する」という書き込みを行ったことによって

被害に遭われた方の尊厳が踏みにじられ、

またその遺族の方が傷つくこともあるかもしれません。

自分は加藤智大の行動を肯定するつもりもなければ、

自分の書き込みによって誰かを不快にさせてしまう可能性を否定することもありません。

ですが、自分と向き合った時に、自分の中にある加藤智大の影を見つけた時に

それをどう昇華していけばいいのか、自分のために参考にしたいと思って

この事件のことを知ってみようと思ったわけです。

加藤智大にならないために、自分の中にある加藤智大に共感してしまうその影の部分と

向き合いたかったんです。

 

 

話が長くなったんですが、以下は読書感想文です。

正直同人活動をしているこのホームページに書き込むべきか

(閲覧しにくる方は同人の話が聞きたいと思っているので)

結構迷ったんですが、長い文章を書きたくなったのでここに書くことにしました。

特に校閲もせずただ思ったことを書きなぐっただけの内容ですが

お付き合いくださると光栄です。

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)[本/雑誌] (文庫) / 中島岳志/著

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(2019/1/5 12:43時点)
感想(0件)

 

加藤智大とは

この本では彼と、

そして彼の周りにいた人物たちへの綿密な取材、

裁判の記録などを丁寧に組み立てて加藤智大がいかにして事件を起こしたか

という半生がわかりやすくまとめられています。

この中で特に自分が注目した点は、加藤智大には親しい友人が複数いて

新しい環境に適応できるだけのコミュニケーション能力を備え

オフ会を開いたり、女性と親しく話したりしていたにも関わらず

彼はずっと「孤独」であったということです。

よくネットで語られるのは

「彼女がいないことに対する社会への不満」や

「派遣切りに合ったことによる社会に対する不満」などが直接的な原因になったというような

ものなんですが、実際それは裁判では否定されており、自分も本著を読んでいて

どっちかというと彼は自身の容姿もネタにはするけど実際はそんなにひどいと思っていない

というような感じや、

仕事を転々としていた経験があるので派遣切りについてもショックではあるだろうけど

また新しくやり直せばいい、といったような一種の開き直りさえみられるわけですね。

よく彼の名言集としてまとめられている言葉の中に

「ぶさいくだから彼女ができない」「全部容姿」

といった発言が多くみられるんですが、自分はこれよりも

「俺にとっては1人の大事な友達でも、相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろう」

「人が足りないから(問題を起こしても職場に)来いと言われる

俺が必要だから、ではなく、人が足りないから。誰が行くかよ」

といった発言の方にどうしても目がいってしまうわけです。

これに共通して言えるのは、彼が本当に欲しかったのは

彼を真に理解してくれる「理解者」であるという点です。

「彼女」はその延長線上にすぎず、彼が求めていたのは

「自分を真に理解し、受け止めて肯定してくれる誰か」なのでしょう。

 

では、なぜ加藤は複数の友人がいたにも関わらず

「理解者がほしい」と思ったのでしょうか。

何故彼はいつも「孤独」だったのか。

自分の中に加藤の影が潜む部分、彼にシンパシーを感じてしまう部分です。

 

アイデンティティの喪失

自分が真っ先に出した考えはこれです。

本著の中でも語られているように、彼は複数の友人がいました。

小中高と関わりがあって、学校がおわったらみんなでワイワイゲームをやったり

漫画を読んだり、だべったりする。

「ただ親しい友人が何をするでもなく集まって一緒に過ごすだけの時間と空間」

を彼は持っていたわけです。

涼宮ハルヒのSOS団やはがないの隣人部、げんしけんの現代視覚文化研究会

のような、オタクにとってはかけがいのない日常を一緒に過ごした友人がいる。

職場を転々としていても、彼はコミュニケーション能力が高かったので

新しい環境にもすぐに馴染めているし、

おそらく頭の回転も速かったので機転も効いたし年代が多少違っても

打ち解けることができていることからユーモアのセンスもあったのでしょう。

「キレ癖」があったにも関わらず彼の周りに人がいたのは

彼のコミュニケーション能力が高く、普段の行いが良かったからではないかと

推察されます。

そんな加藤がここまで孤独感に苛まれたのはなぜなのか。

 

本著では彼が「孤独」だったのは彼が

「本音」での関係をリアルな人と築けず、「建前」だけの関係だったからではないか

と言われています。

ここでいう「本音」とは

「人のことを意識することなく『これを書いたら嫌われてしまう』などということを考えず」

に表現することを指し、「建前」とは

「相手を傷つけないように、きれいごとを並べること」

だと語っています。

何故加藤はリアルな人間と「建前」だけの関係しか築けなかったのかというと

高校の友人や会社の人に「本音」をぶつけてもし嫌われてしまったら

それはその人間の所属する特定の環境まで失うからだとされています。

地元の友人に嫌われたら地元には居場所がなくなるし

会社の人に嫌われたら会社にいるのが気まずくなってしまう。

そういったリスクがあるからリアルな人間に「本音」が言えないのです。

さらに彼が「本音」を言えなくさせている理由に母親の存在があり、

(彼は幼少期からずっと母親に抑圧され、自己の意志を否定され続けていました)

「本音」を開示することで他人に否定されるのではないかという恐怖から

なおさら「本音」が言えなくなっているのです。

リアルな人たちとの関係を信頼していないとか、そんなんじゃないと思うんです。

こういった「建前」だけの関係では自分を多少なりとも演じる必要があります。

本音を話したところでおそらく誰も彼を嫌ったりしないはずなのに

彼は「友人が普段から知っている加藤智大という人物」というアイデンティティを

守るために「建前」での関係を演じていたんじゃないかと思うのです。

幼少期に母親に自己を抑圧され、否定されていた加藤にとってアイデンティティの表現は

成績や結果、(自己を自分で表現できないため)他者から見た評価や反応

それが彼を構築していたんじゃないかと思うのです。

おそらく彼はコミュニケーション能力が高く、周りから「ユーモアがある」

という評価を受けていたんじゃないでしょうか。これは勝手な推察ですが。

そんな彼が突然ネガティブな「ネタ」を言い出したら。暗い「本音」を言い出したら。

他人から見た「ユーモアがある」加藤智大というイメージが崩れ去ってしまう

他人から見た自分のアイデンティティが壊れてしまう

それが怖かったから加藤は「建前」での関係しか築けなかったのではないでしょうか。

 

一方で加藤は「本音」での関係をインターネット上で求めます。

彼が顔を知っているリアルな友達ではなく

顔も素性もわからないネット上に「本音」の関係を結びたかったのは

誰も加藤智大を知らないから、

他人から見た自分のイメージが壊れないからじゃないかと思うのです。

彼はネット上での「彼」として築き上げた自分の「本音」のキャラクターを

「自分」として「承認」してもらえる環境が欲しかったんだと思います。

 

実際、秋葉原事件を起こすに至った大きな引き金はこの掲示板での

自分のアイデンティティの喪失が原因だったのではないかと考えられています。

彼が使った掲示板は匿名の2ちゃんねるではなく、コテハン付きの掲示板です。

そこで彼は「成りすまし」の被害にあう。

これは「本音」での関係をネット上で築いていた彼にとって

アイデンティティの喪失を大きく招いたのだと思います。

自己の喪失によって自分が何者であるのかわからなくなった加藤は思わず掲示板に

殺害予告を書き込む。

最初はそのつもりがなかったにしろ、誰からも反応が得られない。

反応が得られないということは認知されていないに等しい。承認されない。

自分が確立されない。自分がわからない恐怖。

それに抗うため、今度は「リアル」の自分が掲示板の「自分」になるしかない。

リアルとネット世界の反転。自分が自分であることの証明。

自分は加藤ではないし、これといった動機もおそらく本人はわかっていない。

でも、自分の中に眠る影の部分で考えたそれっぽい「衝動」を言葉にすると

おそらくこんな感じなんじゃないかなと思います。

 

ネット世界のリアル化、バーチャル空間と自己確立

この事件は2008年に起きた事件ですが、

当時のネット世界っていうのはまだまだオタクやマニアの領域といった風潮が

強かったような印象があります。

こういったネット世界が大きく変化したのはやはりスマホの普及が伴ってからでしょう。

時期にして2012年くらいからですかね。

2008年頃といえば、まだニコニコ動画やpixiv、Twitterといった大手SNSが台頭してきた時期です。

今と2008年では大きく世界が変わったと同時に、ネットでの在り方も大幅に変わりました。

まず、人口が大きく増えました。

小学生からお年寄りまで関係なく大勢の人がネット世界に

気軽に介入できる環境になったということです。

「うそをうそであると見抜けない人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

この言葉は2000年頃に当時の2ちゃんねる掲示板の管理人だったひろゆき氏の有名な発言なんですが

当時のネットリテラシー能力をはかる指標としてよく使われた言葉です。

デマとネタと本当が入り混じったカオスな世界がネット世界でした。

だからこそ、よく言えば開放的であり、悪く言えば無法地帯だったのです。

しかし、人口の増加に伴って情報が溢れだし、人々の思惑も交錯していきます。

多すぎる情報は時に人々を混乱させ、デマは拡散されると修復が難しくなる。

ネットリテラシーをろくに身につけずにネットに手を出す人も大勢増えました。

また、今までのインターネット世界での在り方に疑問を持つ人も大勢増えました。

特にTwitterでは言論統制、表現の規制など

多数の「声」によって規制されることが多くなりました。

こういった世界が何を引き起こすのかというとやがて見えてくるのは

「建前」での関係です。

フォロワーの少ない一般の普通のアカウントが簡単に「炎上」し

私刑を実行するべく無関係な人が嫌がらせをしたり、必要以上に叩かれたり、

または何気ない発言に対し「配慮がない」と

「クソリプ」を飛ばす連中が後を絶たない現在のネット世界で

「本音」を言うことは難しくなっていったように思います。

ネット世界がどんどんリアル化し、ネット上なのに「建前」での発言を

求められることが多くなってきているんです。

よく「SNSが普及していれば加藤のような事件は起きなかった」

という発言を見るんですが私はそうは思いません。

むしろ、SNSの「いいね」「RT」は承認欲求を加速させ

本音を言うとクソリプを飛ばされ、時には簡単に炎上してしまう。

そんな現代のSNSに身を置いたところで状況は変わらないと思います。

SNSの普及した今、むしろ加藤のような人間は増えたと言っても過言ではないと思います。

SNSでの「いいね」「RT」は簡単に承認欲求を満たしてくれますが

時にそれは依存を引き起こすのです。

加藤は掲示板での「反応」がほしくてずっとネタを投稿していました。

自分も絵の反応が薄いと落ち込み、他人の絵がたくさん反応をもらっているのを見ると

なおさら気分が落ち込んだり、そんな自分に自己嫌悪することがあります。

SNSの「いいね」「RT」は手軽な分、なおさら依存を引き起こすのです。

本著の中で中島岳志氏はこう語っています。

「一方、加藤にとって、「人間と話すのって、いいね」と言える場所が

あまりに限定されていたことも事実である。

職場での「タテの関係」や「ヨコの関係」には、どうしても利害が関与する。

すべて本音で言葉を交わしていると、職場での人間関係にひびが入る恐れがある。

やはり、どうしても空気を読まなければならない。

言いたいことなんて、なんでも言えるわけがない。

だから、直接的な利害を伴わない「ナナメの関係」が、社会では必要なのだ。」

「SNS疲れ」なんて言葉が出てきている今、

ネット上での関係はもはや「無関係な人」ではなくなっているのでしょう。

ネット世界の人は「ナナメの関係」でも、使い方によっては利害のある「建前」の関係になってしまう。

ナナメの関係が欲しくて始めたSNSなのに、いつしか「建前」で話すようになっている

これが昨今のSNS疲れの原因の一つなのかもしれません。

 

ネット世界とリアル世界、「本音」と「建前」が逆転、同一化しつつあるほかにも

危惧することはまだまだあります。

それはバーチャル空間です。

Vtuberが爆発的に増えたのは2017年~2018年の短い間でしたが

今後もこのバーチャル空間はどんどん普及していくでしょう。

ここで起こるのは「自己の同一化」ではないでしょうか。

決して悪いことだけではありません。

でも、バーチャルでの人格が、自己が、いつかリアル世界の自分となり替わってしまう

そんなことが起こってもおかしくないと思うんです。

「建前」ばかりのネット世界にバーチャルでの「自分」、

一体どれが本当の「自分」で何が「建前」で「自分」は何が言いたいのか。

著者の中島岳志氏はこう語っています。

「しかし、建前=リアル/本音=ネットという二分法は、彼の人生の中で

何度も入れ替わった。リアルの言葉に心を動かされる一方、

ネットの言葉に失望することも繰り返しあった。

だからこそ、彼はリアルの「言葉」と向き合うべきだった。

自ら作り上げた岩盤を、意志を持って崩すべきだった。

自己と対峙することが怖くても。」

バーチャル世界が普及していったら、自己と対峙する時間が減っていくのではないか

そう考えてしまう自分がいます。

だってその方が居心地がいいから…

 

秋葉原事件は、さまざまな要因が複雑に絡み合ってそれが連鎖反応して引き起こされた事件です。

でも、それは加藤智大だけの話に留まらず

自分にも共感できる部分がいくつもありました。

彼を擁護する気も、同情することもしませんが

自分の中にある加藤と共感してしまう部分を受け止めることで

自分を見つめ返すきっかけになれたらいいなと思って読んだ本でした。

彼をただの人殺しであるとそこで思考停止してしまってはなんだかいけないような気がする、

そういう危機感がありました。

この著者もそう思って加藤智大とこの事件について追っていったのでしょう。

平成最後という節目に自分を見返すきっかけとして読みましたが、

読んでよかったです。

私もまだ、自分の、青年期の発達課題をクリアしておらず悩んでいたので

この本を読んでよかったです。

加藤智大に通じる部分を感じる人に読んでもらいたい本ですね。

 

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同人誌や記事の感想、悪口や文句や誉め言葉や要望、

記事にしてほしいネタなどあればこちらにどうぞ。

匿名なので誰が送ったのかわからないので安心してね。

お題箱

 

以下お題箱コメントの返信

(試験的にここでやってみる方式でしばらくやると思います)

あけおめです!

コメントありがとうございます!

あけおめで~す!

 

 

 

 

 

 

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